『文明としての教育』(山崎正和、新潮新書、2007年12月20日発行)を読んだときのことです。ある一文に目がとまり、これはおかしいと感じました。
「芥川龍之介の短篇小説『手巾(はんけち)』に、息子を亡くしたばかりの婦人が端然と客を迎えながら、しかし机の下では「膝の上の手巾を、両手で裂かないばかりに緊(かた)く、握っている」という場面があります。」(p.28)
実際の『手巾』では、息子を亡くしたばかりの婦人がその知らせと世話になったお礼のため息子の恩師を訪ねています。それが、『文明としての教育』では、恩師が婦人宅を訪問したようになっている。これは明らかな間違いです。山崎正和氏といえば著名な劇作家で当時は中教審の会長でもありました。まさかと思いましたが、念のため編集者にメールを送りました。
しばらくして、Sさんという編集者から、これは著者及び編集者の間違いであり、次の版からは訂正した文章を載せる旨メールが届きました。2008年4月10日(4刷)の『文明としての教育』では次のように訂正されていました。
「芥川龍之介の短篇小説『手巾(はんけち)』に、息子を亡くしたばかりの婦人が端然と息子の恩師に相対しながら、しかし机の下では「膝の上の手巾を、両手で裂かないばかりに緊(かた)く、握っている」という場面があります。」(p.28)
これなら間違いとは言えない。多少の満足感をもってあとがきを読みました。が、最後の文章を目にした瞬間大きな衝撃を受けます。
「Sさんは三十年の余も私に昵懇(じっこん)をたまわり、その間、私の新潮社からの出版のすべてを手がけてくださいました。そのSさんが今年を限りに、惜しまれ退職されます。この本が長年の友人のはなむけとなることを祈ったとしても、寛容な読者にはこの公的な私情にお許しをいただけるものと信じています。」
ああ、間違いの指摘などしなければよかった。私のメールがSさんの最後の仕事に泥を塗ってしまったのではないか。といって間違った内容をそのままにしておくわけにもいかないし。この件については正直なところ今も内心忸怩(じくじ)たるものがあります。学校という教育の場においてはなおさらですが、間違いの指摘(それが子供であっても大人であっても)は、ただすればよいのではなく、様々な配慮のもと慎重の上にも慎重にすべきと考えます。