「守破離」とは物事を習得する上での段階を三つに分けた言葉です。「守」は教えを正確に守り基本を身に付ける段階(大相撲で言えば幕下級)、「破」は身に付けた技や形をもとに自己を創造する段階(関脇級)、「離」は独自の道を確立させる最終段階(横綱級)。武道や茶道などにおいてよく使われる言葉です。

 「守」がしっかり身に付いていない段階で、「破」や「離」に取り組もうとしてもうまくはいきません。ところが、最近の若い芸能人などには、「守」ができていないのに、いきなり「破」や「離」の真似をして笑いをとろうとする傾向が見られます。ネットの乱用もそれに拍車をかけています。芸ばかりか人間までが薄っぺらに見えてきます。地道に「守」に取り組み、時機が来たら「破」に挑む。「破」とは、例えば自分の言葉で自分の考えを言えるようになる段階です。ここで周りから叩かれて、やっと「離」の境地に達することができます。「守破離」の各段階で必要になるのは師匠です。先日開催されたなでしこセミナーでも、師を持つことの大切さについて理事長先生は述べておられました。

 私たちの身の回りにあるすべてのことは、いまやアプリさえ使いこなせれば、師匠などいなくても十分に用が済ませる時代です。料理や子育て然り。しかし、人間としての成長に重きを置く学校教育においては、自己流ではなく師匠を見つけ「守破離」の道をしっかり歩む教師こそが本流です。日本の海軍軍人であった山本五十六は、「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。」と言いました。いつの世も人を動かし育てるには師が必要です。とりわけ教師と呼ばれる人たちには「離」の段階にあってなお師匠の存在が欠かせないものです。